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明治20年にまず2階建ての主屋と応接間棟が建設され、大正5年に炊事場棟6年に座敷棟 7年に大広間棟、8年に茶室、9年に大玄関棟などが次々と建築され現状となりました。大正5年12月には蔵内鉱業株式会社を設立して事業を拡大している為、堂々とした応接空間が必要となった為だと思われます。 |
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最大の建物は大広間で、18畳間が二室連続し、上段を備えています。23畳の畳廊下がL字型に取り付きながら、庭園に臨んで建東正面の銅板葺の大玄関は変化に富む大胆な屋根構成で 衆議院議員をも務めた人物にふさわしい格調高い佇まいを見せています。 |
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昭和初期には木造建築技術は最高の水準に到達しますが、ここにも地方の大工棟梁の高度な技量を窺う事が出来ます。旧蔵内家住宅は現存する10数件の炭鉱主の住宅の中では最古の遺構です。また、大正期の増築によって典型的な大住宅へと変化したその変遷の過程を良く留めています。18畳続間の大広間や12畳の玄関間、総2階建ての炭鉱主の住宅は他に例が無く、更に欄間飾りや装飾タイルなどの細部に至るまで細かい配慮が行き届いています。建築的に極めて優れており、近代和風建築の住宅として貴重な物です。 |
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